日時     KIN 63  倍音の月(3)09:47:42 (2006年11月17日)

「マヤンファクター」より、少し、引用します。

古典期のマヤ文明は、前代未聞の偉業を成し遂げ、また文明自らを終結させたユニークな文明である。おそらくそこには何があっても遂行しなければならない使命があったのだろう。その使命とは、地球と太陽系を、その上位のさらに大きな銀河共同体と同期させることだったのではないだろうか。それが、日付とそれに伴う神聖文字の意味なのだ。ひとたびその目的が達成されると、一部を残して大半のマヤ人がそこを離れた。

「スユア」とは、時間が持つさまざまな周期の意味を表す神秘的なコード言語である。この古典期の、あるいは銀河のマヤは、自分たちの目的と科学を表現したコードを残した。それがツオルキンと呼ばれるものであり、13の数字と20の象徴が、一見単純に見える体系のなかに埋め込まれたものだ。

フナブ・クとは、通常「運動と尺度を与える唯一者」と訳されている。これは、太陽を超越した生命の原理である。その観点からすると、フナブ・クとは銀河の中心の呼称であるが、それだけでなく、その活動と目的を表すものでもある。運動とは、エネルギーや生命の原理、また、あらゆる現象に内在する普遍的な意識に対応しており、尺度とは、エネルギーがあらゆる現象に内在する普遍的な意識に対応しており、尺度とは、エネルギーがあらゆる変容を通して帯びる、あらゆる限定された質の要因となるリズム、周期性、形の原理のことを指す。

クシャン・スウムとは、文字通りの意味では「宇宙の臍の緒につながる天空の道」ということだが、別の表現をすれば、太陽を通じ、銀河の中心であるフナブ・クへと向かう、個々人と惑星を結びつける銀河生命の糸または繊維ということになる。

その繊維であるクシャン・スウムは無線機のように。共振する道筋を定め、コミュニケーションできるチャネルを維持する、いわば、宇宙の命綱である。クシャン・スウムを通して、私たち個々人は、太陽とのつながり、究極的には銀河中心とのつながりを持っている。そのつながりは、惑星場の反射皮膜を通して太陽神経叢から広がっている。

上記のマヤの叡智の意味をわかりやすく言ってくれた内容を。

あさって、再会するエハン・デラヴィと

ホゼと3人で講演したときのエハンの講演の内容から。

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そういう人物(ホゼのこと)の話を聞かれたんですよ。だから、いくら政治家にここに立ってもらっても、偉いもう称号がついてるような有名人が来たとしても、この話は聞けないということです。あくまでも、その平面の4方向の話に過ぎないということですよ。これはないです、上下、十字はありません。ブッシュ大統領にしても、これ非常に悪い例だ、あの人はまともな英語しゃべれないから、もうちょっとましな政治家、ネルソン・マンデラにしてもですよ、こういう話は出来ません。なぜならば、役職が違うんです。三次元の中で非常に優れた仕事をされておられるということは、誰もがこれは認めざる得ないんですよ。それは、三次元の話に過ぎません。だから、多次元のことを知ろうと思ったら、なんで三次元しか分からない人に聞くかい、と言いたいわけ。誰に聞けばいいのか、考えなかあかんわけよ。だから、彼のような人に聞かなければ、2012年のこと分かるもんじゃないんです。どうしても偏見をもつような人間が多いわけ。世紀末のクリスチャンに聞けば、ああ世紀末だとか、イスラム教の人間に聞けば、ああジーハードだとか、いろんなこういった偏見の非常に限られている話しか出来ないわけでしょ。銀河レベルではないんですね。今のマヤの考古学者にここに立ってもらえば、多分彼のことすごいバカ扱いするでしょう。あんな銀河マンどこにおったかと言うわけですね。しかし銀河的な発想がなければ、彼らが残してくれたような情報があるわけないんです。はっきり、あれぐらいの数字、あれぐらいの天文学を発想としてまず、残そうとする意識自体が中米のちょっと進化したインディオの話ではございません。だから、考古学者に聞いてもしょうがないわけ、いくら30年間発掘し続けても、古い骨を見ても自分の三次元の意識で判断して、仮説を立てるのに過ぎません。分かりますね。だから、人間のことを理解しようと思えばミミズに聞くものですか。ミミズは人間を何ですかと聞く、え、高いもんだとそれで終わり。それに等しい話なんですよ、実は。銀河文明を理解しようと思えば、銀河文明のことが分かる人に聞かないといけないんですね。

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